親たちのエッセイ

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小1女子の親 (神戸市垂水区)

1995年1月17日、神戸を大きな地震が襲いました。それは、地震とはすぐには分からないような、今まで経験したことがない大きな揺れでした。
当時6才だった娘は、もともと暗闇と揺れには大変敏感な子でした。自分の部屋でたった一人で眠っていた娘の泣き叫ぶ声が、最初の揺れがおさまり自分を取り戻した私たちの耳に聞こえてきたことが、忘れられません。
しかし、私たちも暗闇の中で身動きがとれず、どうすることもできませんでした。大きな揺れが少しおさまり周囲が明るくなってから家の中を見てみると、リビングの食器棚の中身が全部飛びだし食器はほとんど割れてしまいました。私たちの住んでいるところは倒れた家屋もなく、停電のため信号機が消えているほかは、窓から見える風景には大きな変化はありませんでした。
電気が回復した後、テレビで見る映像に私はただ呆然とするばかりでした。しかし、娘にはテレビはどこかほかの世界の出来事のようで、「こわい」とか「かわいそう」と言いながらも、「早く幼稚園に行きたい」とか「お友達と遊びたい」とか言っていました。
それからほとんど外へも出られない生活が1ヶ月ほど続きました。外に出られない、外で遊ぶことができない生活が娘にはかなりのストレスになったようで、パニックを頻繁に起こし、「できない、できない」と言って、なんでも人にやってもらおうとするような、赤ちゃん返りのような症状が現れました。かなり落ち着きが出てきたと感じられてきた矢先のことで、小学校入学を前に大きな不安を感じました。しかし時が解決するだろうとしばらく娘の状態に付き合って過ごしましたが親のほうにもかなりのストレスがたまってしまいました。
そんなこんなで3ヶ月が過ぎて4月になり、小学校の入学式を迎えることができ、娘も無事1年生になることができました。
あの大地震から早8ヶ月が過ぎ、街もどんどん復興を始めました。娘も地震の後遺症などなかったかのように、元気で小学校に通っていますが、いまだに暗いところや揺れるところに行くと地震を思い出すようで、遊園地に行っても乗り物に乗ることができません。娘のように家族を失うこともなく、住むところを失うこともなかった子供でさえ、いまだに地震の前の状態に戻ったとは言えません。
壊れた建物がどんどん取り壊され、建て直されていき街が復興していくようには傷ついた子供たちの心は直らないだろうことを感じずにはいられません。