親たちのエッセイ

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高1男子の親 (西宮市)

私の家は野坂昭如の“火垂の墓”の舞台の真ん中にある。
戦後50年も、まだアニメの家並みが少し残っていたのですが、1月17日未明の地震で粉々となってしまいました。勿論、ずっとずっと後に建ったわが家も内外壁が落ちて鉄骨がむき出して居りました。すぐに皆で近くの小学校へ避難しました。しかし、息子は自転車で地域を一回り、被害状況を偵察したようでした。
全ての情報が断たれた中で2千人を越す避難民と生活が始まりました。長年地域のコミュニティ活動をして居りました故、主力となって活動しました。
食料・水の調達そして何より辛かったのが、次々運び込まれる遺体との体面でした。とてもとてもわが子の事はかまっていられませんでした。又、息子は息子なりに働いていたようです。
2週間後に会社で用意してくれた家に引っ越しましたが息子は学校へ2時間以上もかかって通いました。そして昼食は避難所で済ませ後はボランティア(焚きだしの用意や片付け等)をして5時頃帰りました。
こんな生活が40日も続きました。その間、体力もついたし多くの人にもまれて、たくましくなった様に思えました。私どもが長年地域の中で生活したおかげで親以外の人に助けられて成長し乗り切れました。
震災は息子にとって人生の大きな節であったと思います。