親たちのエッセイ

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小5 男子の親 (神戸市西区)

突然の大きな地震、家中の食器や本が辺り一面飛び散り、子供は寝ていた2段ベッドごと30cmほどずれていました。揺れがおさまってから、着替えてしばらく車の中で過ごし、明るくなって学校の体育館に避難しました。
余震の度に「ゆれないよ・・・」の連発。いつもと違う学校の様子に戸惑い気味でした。午後になって家に戻りテレビをつけると、災害状況のすごさに「火、もえちゃった!火事になっちゃった!」とパニック気味。それも夕食位にはおさまって不安ながらもその晩は寝つきました。その晩からオネショが始まりました。
地震の次の日、水もガスも止まっているので明石市大久保町の友達の家に水をもらいに行きました。いろいろ話しているうちに泊まることになって結局1週間一緒に暮らすことになりました。
友達の家は、父・母・T君(年中)・J君(3才)の4人家族でお父さんたちはその夜からボランティアに出かけ、留守番は私たち(私・K5年・M3年)女こどもばかりで暮らすことになりました。大久保周辺にも知り合いがいるので何かと心丈夫です。
Kも何度か行ったことがあったり、親から離れて泊まる練習をしてきたせいかすぐになじめてどんな所でもやっていける子に育つことが生きていく力につながるかと思いました。(ハンディを持つ子は特に)しかし、その夜もオネショ・・・・・・次の夜も・・・・・・。
やはり地震のショックでしょうか。昼はT君の幼稚園(明石市は幼稚園・小学校は休校になりませんでした)の送り迎え、大久保町や畑を散歩、開いている店を見つけて買い物、隣の犬の散歩をまかせてもらったりとのんびり過ごし、4人の子ども達は一緒に食事をし、風呂に入り、布団に並んで寝て、3才のJ君は地震のあったことなど知らず天真爛漫だし友達の家でオネショをしても洗うだけでお互い気兼ね無しです。
そんな環境の中でKも少しずつ安定していったように思います。4日目にはオネショなしでした。そんな中で親も(大人も)重要な環境の一つだったと気づかされました。
数ヶ月たった今、小さな地震でも「ゆれないよ・・・」と私にいって来ますがそれが不安材料にならないよう、子供の心を受け止めてやりたいと思います。